一遍上人は、鎌倉中期から室町時代にかけて日本全土に熱狂の渦を巻き起こした時宗の開祖です。
一遍は、四国は伊予(愛媛県)松山の豪族で河野水軍の将・河野家の出身。10歳のとき、母の死に無常を感じて出家。13歳で浄土宗に入門。25歳のとき、父が亡くなり、家督を継ぐために生国に帰り、還俗。豪族武士として生活しますが、33歳で再び出家。三人の尼僧(二人の成人女性と少女一人。妻と娘と下女と思われます)を連れて伊予を出ます。
一遍上人ら一行は、融通念仏(ゆうずうねんぶつ)の聖(ひじり)として「南無阿弥陀仏」と書かれた念仏札を配って人々に念仏を勧める遊行(ゆぎょう)の旅を始めました。
一遍一行は、阿弥陀の浄土と見なされていた熊野本宮へ向かいました。熊野本宮に向かう道中、一遍にとってショックな出来事がありました。
そのあたりの様子が絵巻『一遍上人絵伝(一遍聖絵)』に描かれ、記されています。
ここに一人の僧がいた。聖が勧めておっしゃるには、「一念の信を起こして南無阿弥陀仏と唱えて、この札をお受けなさい」と。
僧が言うには、「いま一念の信心が起こりません。受ければ、嘘になってしまいます」と言って受けない。
聖がおっしゃるには、「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受けにならないのですか」
僧が言うには、「経典の教えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こらないのです」と。
そのときに、幾人かの道行く者たちが集まってきた。この僧がもし札を受けなければ、みなが受けないであろうという事態でありましたので、本意ではなかったが、「信心が起こらなくても受けなされ」と言って、僧に札をお渡しなさった。
これを見て、幾人かの道行く者たちもみなことごとく札を受けました。その間に僧はどこかへ消えてしまった。
このことを思惟するに、それはそれとして理にかなったことである。
念仏札を拒否された。このことに一遍はとてもショックを受けました。こんなことは初めての体験でした。今までは誰もが素直に念仏札を受け取ってくれました。しかし、「信心が起こらないので、受け取れば、嘘になってしまう」という僧の言葉は、なるほど、もっともなことで、理にかなっています。今後、またこのようなことが起きたら、どうしたらよいのか。今まで自分が行ってきた布教の仕方は間違っていたのか。一遍は歩きながら、悩み、煩悶しました。
熊野本宮に着いた一遍、熊野権現が現れ、
「融通念仏を勧める僧よ。どうして悪い念仏の勧め方をされるのか。御坊の勧めによって、一切衆生ははじめて往生するわけではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されていることである。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」と、お告げなさる。
信心をもっていようがいまいが、なんであろうが、あらゆる人が阿弥陀仏の力によって往生するであろうことはすでに決定されているのだから、あとはその人が素直な心で阿弥陀仏を求めて念仏を唱えれば、それだけでよい。だから、念仏を人に勧めるときは、無理強いなどしてはいけない。相手が素直な心のままに阿弥陀仏を求め、素直な心のままに念仏を唱える、そういう自然な心の状態をつくりだしてあげなければならないのだ。
私はこの話を聞いて不妊治療にも当てはまると思いました。
赤ちゃんは神様からの授かりものなのに、私の屁理屈の無理強いはいけない。
私はいつもこのことを念頭に入れている。