昔はどうしてたんでしょうか?

今も昔も人間の行動は一緒だと私は思っている。

昔は子供が授からない人はどうしていたんでしょうか?
それは観音様にお願いをしていたんです。(笑)
昔からそういったお話は一杯有ります。
例えば、何々天皇が授かったとか、何々将軍が授かったとか、、

西国三十三所巡礼の第32番札所、観音正寺には、
西国を38回、四国を38回も廻られた人が碑を立てていました。
裏の碑文を読むと興味深いことが書かれていました。
娘さんに子供が授からない、、、歩いて西国三十三箇所を廻られて授かったと書かれていました。
それから、奥様が体調を崩されてまた廻られて回復したとも書かれていた。
で、西国33箇所を38回、四国遍路を38回、廻られて記念にこの碑を建立したと書かれていました。
凄い人がいるもんだ。。。

第24番中山寺には、
豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。とある。

清水寺縁起絵巻にはこう書いてある。
778年、大和国高市郡の子島寺の僧、延鎮(えんちん)がある夜、夢告に導かれて木津川に流れる金色に輝く一筋を辿って東山の音羽の滝に至り、一人の白髪白衣の修行者に出会う。行者は行叡(ぎょうえい)といい、延鎮に土地を譲ってどこへともなく去った。別れ際に行叡が示した霊木で千手観音像を彫り庵に祀った。修行三昧に過ごしていると、ある日一人の武人が立ち寄る。坂上田村麻呂であった。田村麻呂は身籠った夫人の病を癒す為に鹿の生き血を求めて狩りに来たのだった。話を聞いた延鎮は殺生を諭し夫人の安産を祈願する。おかげで無事平産を得た田村麻呂は深く延鎮に帰依して堂宇を建立とある。

醍醐寺には准胝観音菩薩様があり、安産、子授けの功徳もあるとされている。真言宗醍醐派の開祖である聖宝尊者が准胝観音に祈って朱雀天皇や村上天皇を授かったという伝説も残されている。

このように昔の人も今の人も観音様の慈悲の力に寄って授かる人が沢山おられます。

さぁ皆さんはこれを読んでどう感じたでしょうか?

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