「精子は元気なのが一匹いればいい」の落とし穴

黒田インターナショナル メディカル リプロダクション院長の黒田優佳子医師

2017年のWHO(世界保健機関)の報告によると、不妊の原因は「女性のみ」が41%である一方で、「男性のみ」が24%、「男女とも」が24%。つまり、不妊に悩むカップルの約半数にあたる48%のケースに男性側の不妊が関わっていることがわかります。
しかしこれまで、男性不妊や精子の質の問題は、女性側の不妊(女性不妊)や卵子のそれに比べ、実態や詳細が語られることはほとんどありませんでした。「精子学」の第一人者であり、男性不妊に悩むカップルの治療を長年行ってきた産婦人科医師の黒田優佳子さんは、現状を「精子の質を軽視した不妊治療」と指摘し、次のように注意を促します。
「実は、一般的によく行われているような精子検査、いわゆる精子の数と運動率だけを調べても精子の質および男性不妊の重症度は測れません。なぜなら、一見 元気に泳いでいる運動精子の中にも、詳細に調べてみると、受精するために重要な役割を担う精子頭部に空胞があったり、遺伝情報を司る精子DNAの鎖が切れていたり、様々な異常をもつ精子がたくさん見つかるからです」
つまり、精子が元気に運動していることだけで、精子の質がいいとは言えず、全ての異常を否定できるわけではないということです。「見た目は元気でも中身に異常がある精子が、流産の一因になったり、生まれてくる子どもの障害の原因になったりする可能性も否定できない」と黒田さんは言います。
こうした状況で「精子が悪いから」と顕微授精を安易に選択することにも黒田さんは疑念を示します。
というのも、例えば、体外受精では、精子自身の力で卵子に侵入して受精します。しかし、顕微授精では、卵子に侵入して受精する能力のない「異常精子」でも、ヒトの手で卵子に穿刺して人工的に授精させることが可能だからです。
「実際のところ、そのような異常精子を人工的に授精させても問題ないのか?という点に関しては全く不明です。このような精子で授精させて妊娠・出産した場合、男児に同様な性質が遺伝するか否かは不明なのです。しかし、『精子は元気なのが一匹いればいい』と精子の質を保証せずに治療を行っている医院やクリニックがほとんど。これが不妊治療の現状で、大きな問題の一つなのです」
精子の様々な異常は普通の顕微鏡では見えません。「胚培養士の皆さんは、『どのように精子を卵子に穿刺するか』については、詳細に検討してきましたが、『どのような精子を選んで刺せば安全か』については、充分論議していないのが現状です。
顕微授精に際しては、『どの精子を選ぶか』は治療の安全性に直結します。穿刺する前の段階で『精子の質の見極め』をして『この精子ならば穿刺しても大丈夫か』を見極めておくことが本来は極めて重要であり、大前提なのです」

精子は卵子より質の均一性に欠ける
見逃されている問題点として、精子は質の均一性に欠けている特殊な細胞であることについても黒田さんは指摘します。卵子はお母さんのおなかにいる時、細胞が若くて元気な時に卵巣内に全て産生・準備され、思春期になると毎月一つずつ排卵します。
「精子も思春期以降に産生が盛んになりますが、精子はともかくたくさん造らなくてはならないために、どちらかと言うと粗製濫造(そせいらんぞう)。この点が明らかに卵子の形成とは異なります」と黒田さんは言います。
「私の研究からも、体内の他の細胞では考えられないくらい、精子は様々な異常を持ったまま造られてくることが明らかになりました。精子は卵子と違い、動かない細胞から運動能力まで獲得するような劇的変化をする、体の中でも非常に特殊な細胞です。精子が造られる過程で卵子より複数の遺伝子が複雑に関与しているのです」
そもそも男性不妊とは、主に「造精(ぞうせい)機能障害、つまり精子形成障害」「精路通過障害」「副性器機能障害」の3つのカテゴリーに大きく分けられます。
一方で、男性不妊の約9割を造精機能障害が占めています。無精子症や乏精子症などの言葉を聞いたことがあると思いますが、残念ながらこれらの造精機能障害のほとんどはまだ原因不明。黒田さんが指摘するようにヒトの精子形成過程には、様々な遺伝子が複雑に関係しているので、簡単に原因究明ができないからです。
こうしたこともあり、妊娠・出産において人間の手を加えるのであれば、単純に「精子が悪いから、顕微授精する」のは本筋ではありません。精液の段階では状態が悪かったが、高度な技術で質の良い精子をより分け、最終的にできる限り精子の質に関して細かく精密検査をする。その上で「この精子だったら穿刺しても大丈夫」と判定してから、顕微授精を勧める。「厳密な精子の品質管理こそが、安全な顕微授精の前提です」と黒田さんは繰り返します。

「精子の老化」と「卵子の老化」の違い
最近、「卵子の老化」とともに「精子の老化」が話題になっています。黒田さんは「この老化の話にも、いろいろな誤解がある」と言います。
「一般的に言われている35歳を過ぎると卵子が老化するという説は、半分本当ですが、半分誤解。私も平均値として、35歳過ぎた女性が妊娠しにくくなるというのは妥当だと思いますが、一方では早発閉経のように20代で閉経する方もあり、また一方では40代後半でも避妊していないと妊娠してしまう方もいます。重要なのは自分がどちらの側なのか。平均値はあまり関係ありません」
また、黒田さんは精子については「精子も多少は年齢に伴って老化することもあると思います。しかし、2つの点で卵子の老化とは明らかに違う」と言います。
一つは高齢化の歩調です。恐らく年齢と共に少しずつ老化した精子の割合が増えていくのだと思われるが、「精子は数が多く、その都度、作られるので、卵子のように高齢化に伴って歩調をそろえて一斉に老化することはない」という点です。
もう一つは、精子を造る遺伝子の問題です。精子がうまく造れなかったり、数が少ない造精機能障害は年齢というより、精子形成に関わる複数の遺伝子が複雑に関与しています。「精子をうまく造れないということは、単に老化による問題で精子の産生量が減る(精子数の減少)ということではなく、様々な質の異常を伴います」
以上をまとめると、20代でも精子の質が悪い人、60代以上でも精子の質が良くて妊娠させられる男性もいるということ。『(精子も老化するので)若ければ精子の質がいい』という単純な話ではない」ということです。
子供が欲しい人は、女性だけでなく男性も、マタニティ・チェックのように精子機能の精密検査をしておく必要があると言えるでしょう。

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